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トライアウト監督に元プロ野球・清原和博の過去・現在 タニマチの存在や噂の彼女

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かつて、プロ野球の『西武ライオンズ』『読売ジャイアンツ』『オリックス・バファローズ』で活躍し、右打ちの強打者として活躍して野球ファンを大きく湧かせた「だんじりファイター」「お祭り男」、清原和博氏。

清原和博氏は2016年2月、プロ野球の選手を引退した後に「覚せい剤取締法違反容疑」で警視庁に現行犯逮捕されました。2016年5月に東京地方裁判所で懲役2年6か月(執行猶予4年)の有罪判決を受けます。

清原和博氏は来年2020年5月に判決の執行猶予が明けます。そのタイミングで、プロ野球業界への「復帰」がクローズアップされるようになりました。

今回は、清原和博氏の今までのプロフィール、経歴を振り返り、更には今現在挙げられているプライベートの噂はどうなっているのか紹介していきます。

清原和博氏のプロフィール

・1967年8月18日生まれ(52歳)
・大阪府岸和田市出身
・身長:188㎝/体重:104㎏
・出身校:岸和田市立八木南小学校→岸和田市立久米田中学校→PL学園高等学校(大阪府)卒業
・プロ野球入り:1985年 ドラフト会議1位指名
・所属チーム歴:
西武ライオンズ(1986-1996)
読売ジャイアンツ(1997-2005)
オリックス・バファローズ(2006-2008)

輝かしい学生時代からプロ野球へ!

清原和博氏は、大阪府岸和田市の電器店を営んでいた家庭に生まれました。

読売ジャイアンツファンであり、小学3年生から野球を始めます。既に4年生でレギュラーとして試合に出ていたとの事。当時は、お笑い芸人「ますだおかだ」岡田圭右さんとの対戦があったとの事で、意外な所に繋がりがありました。

中学校に進学し、地元岸和田市のリトルシニアリーグで腕を磨き、中学2年生時にはチームの主将になって関西シニア選手権で優勝する等実力の片鱗を見せました。

高校は数多くの勧誘の中から「PL学園高等学校」へ進学します。
中学時代までは投手を務めていた清原和博氏ですが、高校1年生の6月に投手を断念します。理由は、後にジャイアンツでチームメイトとなる桑田真澄氏との出会いでした。

小さな身体から繰り出される桑田真澄氏の突出した投手としての実力に敵わず、残念ながら投手としての道を諦めました。しかし、この選択が後に大きく影響します。

少数精鋭の生徒を全国から集めてきたPL学園で、1年生から清原和博氏は先発メンバー、4番バッターとして活躍します。桑田真澄氏と共に全国高校野球選手権(甲子園に)春季夏季合わせて5季連続出場を果たし、1年生の夏と、3年の夏に全国優勝を遂げます。

後に清原和博氏と桑田真澄氏のコンビは「KKコンビ」「桑田清原世代」と呼ばれ、甲子園通算13本のホームランは今だ破られていない記録として有名です。
そんな清原和博氏でしたが、最初の「悲運」が待っていました。

ドラフト会議で「失意」の指名

1985年、高校3年となった清原和博氏は、次の進路を「プロ野球入り」としました。
運命の「プロ野球ドラフト会議」、プロ野球チームからの指名を待つ事となります。

清原和博氏の意中のチームは、ファンであった読売ジャイアンツと父が熱烈的ファンだった『阪神タイガース』でした。もし、2つのチームからドラフト会議で指名されなければ、社会人野球へ進んで野球を続ける事を示唆していました。

しかし、意中のチームであるジャイアンツは、何と同級生の桑田真澄氏をドラフト1位で指名します。当時・早稲田大学への進学の意思を示していた桑田真澄氏の能力を見込んでの指名でした。

清原和博氏は『南海ホークス(現・ソフトバンクホークス)』『日本ハムファイターズ』『中日ドラゴンズ』『近鉄バファローズ』『西武ライオンズ』、そしてタイガースから6球団の指名を受けます。

くじ引きによる抽選の結果、ライオンズが清原和博氏との入団交渉権を獲得します。

指名後の記者会見では、ジャイアンツとタイガースへの入団権利を得られなかった事から涙目になる姿を取り上げられる等、マスメディアで大きく取り上げられる事態に発展しました。

そんな清原和博氏はジャイアンツへの「復讐」「見返し」をすべく、ライオンズへの入団を決意したのでした。

(小見出し3)一年目から活躍、それから10年以上経て憧れのジャイアンツへ

清原和博氏は1年目の1986年から快進撃を見せ、打率.304、31本塁打、78打点と何れも1955年の榎本喜八氏(当時・大毎オリオンズ、現在の千葉ロッテマリーンズ)が保有していた、高校卒新人選手の歴代対抗記録を残し、新人王に輝きます。

1989年には最年少21歳9か月でのプロ通算100号本塁打を達成、1990年オフシーズンでの契約更改では最年少での年俸1億円更改となり「1億円プレイヤー」の仲間入りを果たします。
1992年には24歳10か月で史上最年少の200号本塁打を果たします。
清原和博氏が在籍した時代のライオンズは、パリーグ優勝8回と日本一6回を誇る黄
金時代となり、4番バッターとして常に主軸として活躍しました。

迎えた1996年オフシーズン、1993年よりプロ野球に導入された「フリーエージェント制度」を利用し、他チームへの移籍を目指す事となりました。
そして、清原和博氏にオファーを提示したのは、ジャイアンツとタイガースでした。

ジャイアンツへ移籍からの転落

ジャイアンツへ5年契約の条件で移籍を果たし、

11年越しの夢を叶える事となります。

しかし、清原和博氏の人生はここから下降線を辿ります。
移籍初年度の1997年は当時最低記録の152三振を記録し、打率が低迷。
32本塁打を放ち意地を見せますが、ジャイアンツはリーグ4位に終わり優勝争いにも絡めない結果に終わります。

翌1998年以降から常に負傷に悩まされるようになり、成績も低迷。
試合に出続けたり、負傷で離脱するというシーズンが交互にやってくる野球人生となりました。

プライベートでは、1996年に暴力団員と「賭けゴルフ」をしていたという報道がなされ、徐々に清原和博氏の「影」の面が出てきます。

2003年以降は当時4番で主砲を長く務めていた松井秀喜氏(現・評論家)がメジャーリーグ挑戦の為渡米した事もあって再度4番バッターの主軸として期待されますが、度重なる負傷や当時のチームの選手編成の関係もあって、出場機会が激減します。

2005年にはメジャーリーガーのスター選手であった、バリー・ボンズ氏を尊敬していた事もあってダイヤのピアスを付けて試合に臨むという素行の悪さを示し、当時の監督等現場スタッフと対立。シーズンオフに戦力外通告を受け自由契約となります。

夢であったジャイアンツでは、2度のリーグ優勝と2度の日本一を経験した清原和博氏でしたが、年間通じて試合出場したシーズンは僅か3年しかなかった等散々な結果で去る事となりました。

 

2006年から、入団のオファーを受けたオリックス・バファローズへ移籍。

メジャーリーグから帰国した中村紀洋氏(現・評論家)と同時に移籍入団し、低迷するチームのカンフル剤として期待されましたが、チームは5位と低迷、自身も僅か11本塁打と気を吐けず。これが現役選手として最後に「戦った」シーズンとなりました。

2007年に左ひざを痛め、現役引退の引き金となります。手術を行い復帰を目指しますが長く2軍での生活が続き、2008年8月に現役引退を表明。同じ年の10月に引退試合を行いました。

通算525本塁打という輝かしい歴史を残しましたが、ジャイアンツへの移籍後は常に負傷との闘いとなり下降線をひたすら進んでいた印象でした。

評論家として…のはずが逮捕!! タニマチとの関係性?

2009年からは野球評論家に転向しプロ野球中継の解説や、バラエティー番組への出

演で活躍します。
2014年3月に、週刊誌『週刊文春』によって野球界で禁じられている違法薬物の使用疑惑が取りだたされ「影」が徐々に明らかになっていき、妻とも離婚し、子どもとも別れ独り身となります。

マスメディアでの仕事も激減した2016年2月、覚せい剤取り締まり法違反で警視庁に現行犯逮捕され、清原和博氏の人生は一つの「区切り」を迎えました。
薬物使用を否定する等のコメントをしていただけに野球界からも残念との声が多々上がり、かつてのチームメイトや指導者からも衝撃の声を上げさせる結果となってしまいました。

逮捕される結果となってしまった清原和博氏の末期を支援していたという人物がい
たとされています。

それは「タニマチ」です。

 

週刊誌の報道以後、仕事が激減していた清原和博氏。
しかし、当時在住していた東京都内のマンスリーマンションは賃料60万円とされており、銀座で飲み歩いたり、高級外車に乗っていたとの報道もなされました。

そんな清原和博氏の面倒を見ていたのが「タニマチ」と言われています。
「タニマチ」とは相撲界で生まれた隠語で、「支援者」という意味です。

明治時代に大阪の谷町という土地に住んでいた医者が、相撲力士の生活を支援していた事から取られた用語とされています。
支援としては、街での飲み食い等の私生活面での援助やトラブル解決が挙げられます。

清原和博氏を支援していたとされるのは、とあるパチンコ商社の社長ではないかと推測されていました。
「影」を消し去れなかったどころか返って足を突っ込んでしまった結果が清原和博氏の人生に大きく影響してしまいました。残念でなりません。

筆者の一言

2016年に覚せい剤による逮捕で輝かしい人生を棒に振ってしまった清原和博氏。
糖尿病等伝えられた健康面や精神面の不安の中、実は銀座ホステスをしていたハーフ美女と付き合っていたのではないかという話もあります。

報道されていた2017年当時から2年程経ち、今は噂が上がってきませんが、真相はいか程かは、2020年の5月に執行猶予が明けた後、再び野球界への復帰?と共に明らかになるのではないでしょうか。

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